「大逆事件」死刑判決に異議あり!
投稿者: volunteer1 投稿日時: 2011-03-12(土) 20:09
1911年1月18日、大逆罪で24名の方に死刑判決が出ました。
翌日12名の方が特赦で無期懲役になりました。 1月24日に11名の
死刑が執行され、25日に一人が執行されました。 しかし刑死した方の
ほとんどが冤罪だったのです。
死刑が執行され、25日に一人が執行されました。
ほとんどが冤罪だったのです。
大逆罪は刑法73条に「天皇、太皇太后、皇太后、皇后、
孫ニ対シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑に処ス」
909年11月、信州・明科で宮下太吉が爆発実験を行い、
を計画した、というのが大逆事件の発端です。貧困が拡大し、
激しさが増す中で、「天皇も血を流す人間」
など3~4名が計画しました。桂太郎内閣は明科事件を利用して、
義者根絶を図りました。
幸徳秋水は計画に関わっていなかったのですが、「
筈がない」と逮捕されました。
が大逆罪で逮捕されたのです。大逆罪は大審院のみで、「
で、上告の道もありませんでした。
1910年12月、公判が開かれましたが、
しました。裁判所は審理を急ぎ、証人申請をすべて却下しました。
に共通の証拠はなく、事実を無理に繋ぎ、
す。武富済など検察の強引な取り調べを始め、
今も引き継がれているのではないでしょうか。(「一羊会」