キャンペーン趣意書

「死刑廃止に向けて死刑執行の即時停止を求めるキャンペーン」の趣意書

2008年7月14日

呼びかけ団体:社団法人アムネスティ・インターナショナル日本、NPO法人監獄人権センター

 
 1989年12月に国連で死刑廃止条約(国際人権自由権規約第2選択議定書)が採択されてから今年で19年、今や国連加盟国の3分の2以上に当たる137カ国が法律上あるいは事実上、死刑を廃止しています。死刑制度を存置し、執行を継続している主要な国はアメリカ、中国、日本などに限られています。
 昨年12月18日の国連総会本会議では、104カ国の賛成によって歴史的な死刑執行停止決議が採択されました。決議は死刑の存続に「深刻な懸念」を表明し、すべての死刑存置国に対して死刑廃止を視野に死刑執行を停止すること、死刑の適用を減らすことを求めています。
 また、昨年5月の国連拷問禁止委員会の日本審査においても、日本政府に対して死刑執行のすみやかな停止を含む死刑制度の全面的な改革のための勧告が行われました。今年5月の国連人権理事会の普遍的定期的審査(UPR)においても、英国、ルクセンブルク、ポルトガル、アルバニア、メキシコ、スイス、イタリア、オランダ、トルコの9カ国によって日本に対する死刑執行の停止や廃止が勧告されています。
 今年10月には自由権規約(ICCPR)に基づく規約人権委員会による第5回の日本審査が予定されており、「死刑の廃止に向けた措置」を要求した1998年の最終見解以上に厳しい勧告がなされることは必至といえます。
 国際社会はまさに「死刑のない世界の実現」の最終ゴールに向けた動きを加速しており、日本に対して死刑執行停止をはじめ死刑廃止に向けた具体的措置を迫っているのです。 
 このような国際社会の動きに対して、日本政府は昨年12月の国連総会での死刑執行停止決議に反対したばかりか、その後、中国や朝鮮民主主義人民共和国など他の死刑存置国とともに口上書を提出し、死刑制度の問題は国内問題であり、犯罪抑止力などの観点から廃止できないと主張しました。また、国連人権理事会の普遍的定期審査(UPR)における各国からの勧告に対し、今年6月12日の諾否演説において、将来的に批准等を検討する条約のうちから明示的に自由権規約第2選択議定書のみを除外し、死刑廃止や執行停止を検討する余地は全くないとする態度を鮮明にしました。
 さらに、日本政府はこれらの国際的な動きに挑戦するかのように、死刑執行を激増させています。長勢甚遠・前法務大臣は約1年の在任期間中に3度にわたり10人の死刑執行を行いました。鳩山邦夫・現法務大臣も昨年12月以降2カ月に1度のペースで4度にわたり13人の死刑執行を行っています。これは1993年の死刑執行再開以来、歴代法相中で最多であり、国際的に見ても極めて異常な事態であると言わなければなりません。
 
 他国と比較しても日本が死刑制度に固執し続ける理由はありません。統計的に見て殺人などの凶悪犯罪が増加しているわけではなく、犯罪発生率も世界的に見て低い水準にとどまっています。死刑に関するこれまでの科学的な研究の結果、死刑に固有の犯罪抑止効果は証明されていません。殺人事件の半数以上は親族間のものであり、死刑や厳罰化によって防げる性質のものではありません。今年3月の荒川沖駅事件や6月の秋葉原事件のような無差別殺傷事件も、死刑や厳罰化によって防げるものではなく、社会的・心理的原因の解明こそ重要だという認識が広がっています。
 被害者感情や応報観念も死刑存置の理由にはなりません。刑罰制度は、人権を保障した上で、適正に運用されなければなりません。人の生きる権利を国家が奪うという死刑制度は、人権を守ろうとする立場からは決して許容できるものではありません。すべての人々の人権が保障されるためには、死刑を廃止することが必要不可欠なのです。
 
 来年5月21日から実施される裁判員制度においては、義務的に選ばれた一般市民が死刑判決にも関与することが予定されています。しかも、多数決によって意に反して死刑判決に加担させられる可能性があり、下された死刑判決が自分の意に反すること他人に話すことすら守秘義務により一生涯禁止されます。このような制度は、死刑を廃止しているヨーロッパ諸国の参審制とも、全員一致で評決するアメリカの陪審制とも異なり、世界中のどこにもないものです。裁判員制度を実施するのであれば、最低限、死刑廃止がその前提であるといえます。
 
 鳩山法務大臣による、まるで「ベルトコンベヤー」のような連続的な死刑執行は、日本社会のすみずみに深刻な悪影響を及ぼしています。これまで日本政府や死刑存置論者は「死刑は必要悪」「死刑廃止は時期尚早」と言ってきました。しかし、鳩山法務大臣は国会やマスコミに対して「死刑執行は正義の実現」と胸を張り、執行された死刑囚がいかに「生きるに値しない死すべき人間であったか」を得々として演説しています。そしてこれに対して、「よくやった」という激励の意見が多数寄せられているといいます。
 これではまるで西部劇のリンチシーンの「殺せ、殺せ」の大合唱を見るようです。ひと月おきに複数人ずつくり返される死刑執行は、人の死や殺人についての市民の感覚をマヒさせ、「殺人も国家が行えば肯定される」「殺人が正義になる場合もある」「人は他人の命を奪う権利を持つ場合がある」という強烈で誤ったメッセージを日本の社会に向けて発しているのです。
 その行き着く先は、人の命が軽ろんぜられ、犯罪被害者を含むすべて人々の人権が軽視され、貧困や犯罪やあらゆる社会問題もすべては個人の自己責任とされ、「犯罪との戦争」と共に「正義の戦争」が称揚される殺伐とした社会ではないでしょうか。この流れは、何としてもストップさせねばなりません。
 
 アジアにおいても、カンボジア、ネパール、ブータンに続いて、フィリピンが2006年6月に再び死刑を廃止しました。韓国でも10年間死刑執行が行われず、昨年事実上の死刑廃止国となりました。台湾では陳水扁政権に続いて馬英九政権も死刑執行停止の方針を明らかにしており、死刑廃止が日程に上っている。2006年10月10日の世界死刑廃止デーには「死刑に反対するアジアネットワーク」(ADPAN)が発足し、日本を含むアジア各国での死刑廃止運動の連携が進んでいます。
 フィリピンでは法律家、宗教者、児童・青少年、女性、労働者など様々なテーマに取り組む約50もの団体が横断的・ナショナルセンター的なネットワークを形成して、綿密に計画された全国的なキャンペーンによって死刑廃止を実現しました。韓国、台湾でも全国規模でのキャンペーンが展開されています。
 私たちは、これらアジア各国の経験に学び相互に連携しながら、日本においても人権・平和・反差別・反貧困を核に、あらゆる分野の運動体・個人が連携して、「死刑廃止に向けて、死刑執行の即時停止」を求める全国規模での大運動・大キャンペーンを展開していきたいと思います。政治的・宗教的な立場や世代を問わず、「死刑執行の即時停止を求める」という一点で多くの人が集まれるキャンペーンにしていきたいと思います。多様な角度から死刑問題を考える人々の参加を広く歓迎します。