「三崎事件」死後再審請求審でDNA型鑑定を実施へ
神奈川県三浦市で1971年、船舶食料販売会社の社長一家3人が刺殺された「三崎事件」で、死刑が確定し東京拘置所に収容中の2009年9月に死亡した荒井政男元死刑囚(当時82歳)の再審請求で、横浜地裁横須賀支部(忠鉢孝史裁判長)は、元死刑囚が持っていた大工道具袋に付いていた被害者のものとされる血液のDNA鑑定を行うことを3月16日付で決定した。大工道具袋は事件で唯一の物証とされ、荒井元死刑囚は血は自分のものと主張していた。
毎日新聞の記事
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100318k0000e040054000c.html
三崎事件の死後再審請求審
裁判所がDNA型鑑定を実施
まず、死刑確定 (1990-10-30) 後も一貫して冤罪を叫び続けていた荒井政男さんが、獄中で無念の病死を遂げた(2009-9-3)、そのすぐ後になって、この鑑定が実施されることになった――その運命的な皮肉と言うか、無残さと言うか、――私は、なんとも言いようのない思いをしています。
今回横浜地裁横須賀支部が、職権で行なうDNA型鑑定の資料は、実は、荒井政男さんの遺体を家族が引き取った後、弁護団と相談して死後再審を続行していく決意のもと、家族立ち会いで弁護団が遺体から採取した荒井さんの毛髪等によるものです。
対照資料は、事件被害者の血液が付着しているとされて荒井さん起訴の決めてとなった唯一の物証(荒井さんの車のトランクに入っていた大工道具袋に付着している血痕)です。その保存状態は、見たところ悪くはなく、赤黒い状態で残っています。38年前の血痕からDNA型の鑑定ができるかどうかも一つの焦点です。荒井さんは、一貫してその血痕は事件の少し前に、自分が指に怪我をしたときに拭き取ったものだと主張してきました。
したがって、今回の鑑定は、その血痕が荒井さん自身のものということになれば、重要な物証が消えることになり、もし血痕が荒井さんのではない別人のものだとなれば、それを被害者のものとする証明は困難になるというものです。
ちなみに、荒井さんの第1審では、その血痕は、NM型(血液型)で被害者のものと一致し、荒井さんとは不一致と鑑定されており、第2審で法医学者・木村康氏から、NM型検査の精度は低く、使われた試薬に信頼性がないと批判されていたものです。
足利事件・菅家さん無罪の決定打となったDNA型鑑定が、このようにして三崎事件再審請求審でも実現するという、時代の流れも感じます。
2010.3.18 荒井政男さん救援会・山際