何もかも憂鬱な夜に

本の画像『何もかも憂鬱な夜に』中村文則著(集英社刊・ 1260 円)

 

 死刑執行は、拘置所で行なわれる。
 この小説の主人公は、拘置所の刑務官である。

 

 日本ではここ3年ほどの間に、死刑執行数は年間 10 人を超えるまでになった。それまでの 30 年ほどは、年に 1 人から数人という死刑執行数で推移していた。ここにきて急速に死刑執行数が増えている。ほんの5~6年前までは 50 人ほどであった死刑確定者が、あっという間に 100 人を超えるようになった。法務省としては、死刑執行を早めて、少しでも数を減らしたいのだろう。なぜ 100 人を超えるまでに死刑確定者が増えたのか。刑法犯に対する厳罰化が進んでおり、それに伴って死刑判決が増えているからだろう。しかし統計では凶悪犯罪は増えていない、むしろ減少しているとも言える。凶悪犯罪が増えていないのに、どうして厳罰化が進み、死刑判決が増えるのか。いろいろの理由があるだろう。でも何より私たちの社会が、それを容認しているからだ。いやそれ以上に私たちの社会は、むしろ積極的にそのことを求めているのかもしれない。世界の国々では死刑制度は廃止の方向であり、国連総会は 2 年続けて死刑執行停止の決議を採択している。それにもかかわらず、私たちの国日本では、 8 割の人が死刑に賛成しているという。私たちが賛成している死刑執行を実際に行なっているのが、この小説の主人公である拘置所の刑務官だ。

 死刑執行は絵空事ではない。現実に人が人を殺すことだ。人が人を殺すことは、「殺人」である。死刑執行は「殺人」であるという、そのあまりに当たり前のことを私たちは忘れてしまう。だから平気で「死刑にしろ」と言えるのだろう。そして「殺人」には必ず殺人者がいる。その「殺人」を行なっているのが、日本に7ヶ所ある拘置所だ。札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、広島、福岡拘置所、この小説の舞台は、この中のいずれかだろう。この小説は刑務官を主人公にしているが、死刑制度の存廃をどうにかしようと主張してはいない。死刑の話から離れはしないが、単純に賛成とか反対という立場からは書かれていない。死刑囚が目の前にいる状況があり、そのことを主人公である刑務官がどう考え、どう対処するのか。拘置所は、刑が決定するまでの未決囚を置いておく場所でもある。この小説ではそういう人たちとの関わりを交えて、主人公と担当をする少年死刑囚との関係を中心に描かれている。

 30 歳になろうとしている主人公刑務官には両親はなく、乳児院育ちである。主人公は、自分の中にもある暴力的なものを、なんとか矯めようとしている。彼は幼くして、自殺を試みたこともある。自殺した高校の同級生に大きな負い目を感じてもいる。幼い頃に別れ別れになった弟、唯一生きているかもしれない肉親への罪悪感もある。その彼が刑務官となって、拘置所に勤めている。少年死刑囚は、 18 歳 6 ヶ月で若い夫婦を殺害している。一審では死刑判決が出て、主人公はこの少年の担当になる。担当となった少年死刑囚も同じ乳児院育ちである。少年死刑囚は控訴しないと決めているようだ。物語は主人公刑務官のいろいろの思いと感情が輻輳しながら、少年死刑囚にどう向き合えばいいのかということへ収斂していく。決して何も解決はしないが、彼は現実から逃げることなく、かかえている問題と格闘し、小さな光明をみつけたかもしれない。

 

 「恐らく、死刑というのは、人間が決められる領域じゃないんだ。だから、色々と矛盾が出てくる。矛盾が出てくること自体、その証拠だよ……。問題は、人間が決められないものを、その不可避の矛盾が出るものを、それでもやるか、やらないかだろう……こういう状態で実際に死刑をやる現場の人間からすれば、たまらないけどな」
(主人公の先輩刑務官の言葉)

 

2009 年 4 月 28 日

可知記