普遍的で包括的な人権意識の定着こそ、戦争国家への歯止め

井上澄夫

 「死刑に異議あり!キャンペーン」を1年間持続してこられたみなさんに、深い敬意を表します。私はこれまでお話された方々とは、少し違うことをお話します。 

 いわゆる「明治」期の自由民権運動のことは、みなさん、よくご存じと思います。民権は国権に対置された概念ですが、私は現在の日本の人権状況は、この民権が人権と同じものではなかったことにも大きな原因があると思うのです。
 言うまでもなく、民権は人権と重なり合う部分を持っていました。しかし同じものではありませんでした。というのは、自由民権運動は地租軽減、国会開設、不平等条約撤廃、言論・集会・結社の自由などをスローガンとしていたのですが、天皇制国家との闘いにおける最も切迫した課題が、政権獲得のための国会開設に収斂(しゅうれん)されていったからです。
 土佐の民権派が盛んに唄った「よしや節」というのがあります。「よしや」は古い表現で「たとえ……であったとしても」という意味です。「よしや節」にこういう一節があるのです。〈よしやシビルは不自由にても、ポリチカルさえ自由なら〉。
 たとえ一般市民に自由がなくても、政治的自由さえ保障されれば、という意味ですね。それが象徴しているように、民権はなにより政治的な自由を核としていました。憲法学者の樋口陽一さんはこう指摘しています。

政権獲得をめざすことの反面、政治の前提となる社会のありよう、さらにさかのぼってその社会の想定する人間像という場面まで射程の及ぶ関心はほとんど欠落していた。〉
(『憲法 近代知の復権へ』、東京大学出版会、2002年刊)

 今日では、人権が単なる政治的な自由権をはるかに超える普遍的で包括的な概念であることは常識です。しかし当時の自由民権運動では、たとえば、女性差別が顕著でした。男女・女男平等の思想がまったくなかったわけではないのですが、それが運動の基調になることはありませんでした。民権家の遊説では演説会を主催する側が弁士を宴会でもてなしたあと、遊郭に送り込むことが多かったといわれています。
 1881(明治14)年に結成された板垣退助らの自由党は、弾圧と買収で切り崩され、1884(明治17)年に解党しました。1889(明治22)年に明治天皇が大日本帝国憲法を下賜する形で発布し、翌年、1890(明治23)年に、欽定憲法施行とともに国会が開かれますが、そこに至る過程で、もともと「国権伸張のために民権の確立を」という危うい論理をはらんでいた自由民権運動は、朝鮮を属国化する動きに進んで呼応し、排外主義を媒介にして国権主義に変わっていきました。自由民権運動は、私たちに多くの豊かなものを遺(のこ)しながら、普遍的で包括的な人権思想を肉体化し、それが天皇制国家との対決を強く促(うなが)すという方向に発展しませんでした。

 なぜこういうことをあえて言うのか。日本国憲法下にある私たちも、かつての自由民権運動と同じ道をたどりつつあるのではないかと思うからです。私たちは今すでに、戦時下に生きています。そう思う人は少ないのですが、それはまぎれもない事実であり、この戦時下で死刑の執行が激増しているのです。2006年12月25日の長勢甚遠元法務大臣の死刑執行に始まり、鳩山邦夫、保岡興治、森英介の各法務大臣へと続く連続的な大量の死刑の執行は、わずか2年1カ月の間に、10回、合計32名にのぼっています。日本は国外で戦争し、「銃後」の国内で次々に死刑を執行する、そういう国になってしまっているのです。
 世界人権宣言(1948年)はその第3条で「すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する」と規定しています。しかし1989年に国連総会で採択された国連死刑廃止条約を日本は批准していません。自由民権運動における最高の理論家だった植木枝盛(うえきえもり)が構想した「東洋大日本国国憲案」はその45条で「日本の人民は何らの罪ありと雖も生命を奪はれざるべし」と明確に規定したのですが、残念ながら、運動の敗北によってこのすばらしい条文は活かされませんでした。
 やはり、私たちの中に普遍的で包括的な人権意識を定着させることが問われていると思います。私は「死刑廃止を求める市民の声」という小さなグループの一員ですが、死刑執行に抗議する共同声明への賛同をネットで呼びかけると、「今まで死刑反対の意思表示をしたことがなかったのですが、こういう場を設けてくれてありがとう」という反応が寄せられます。死刑に疑問を持つ人、死刑に反対する人は、じわじわとですが、着実に増えていると実感します。
 法務省は世論の8割が死刑存置を支持しているということを死刑執行の根拠にしていますが、では、残りの2割の意見を無視していいというのでしょうか。死刑存置に賛成といっても、その理由は一様ではないでしょう。ためらいながら賛成している人もいるはずです。私たちの働きかけによって、意見を変える人は決して少なくないと思います。
 魯迅は「安易な絶望は根拠のない希望と同じである」とのべています。希望はその字のとおり、希(まれ)な望みですから、そうそうあるものではない。それなら私たちが希望を創るしかないではありませんか。
 私たち「死刑廃止を求める市民の声」は、安易な絶望を友とせず、みなさんといっしょに努力を続けようと思います。